認知的不協和について考えてみる

「認知的不協和」
最近、よく耳にするようになったこの言葉について、考えてみたいと思います。

認知的不協和とは?

認知的不協和とは、、

人が自分の中で矛盾する「新しい事実」を突きつけられた時に感じる不快感を表す社会心理学用語だそうです。

 

人は認知的不協和を覚えた場合、

これを解消するために、自身の中にある矛盾を正当化するほどの新たな認知が必要になります。

 

解消するための行動は

  • 自身の態度や行動を変更する
  • 「新しい事実」を否定する

のどちらか。

 

行動と「新しい事実」のどちらか一方を否定することで、矛盾を解消しようとするのです。

痩せたいけど食べたい

認知的不協和の例では、タバコの話がよく出てきますが、私はタバコを吸わないので、ダイエットを例に取ります。

 

「痩せたいけど食べたい」という感情は、誰でもありますよね。

 

目の前にケーキがある。食べたい。

でも、食べたら痩せられないと知っているから、なんとなく不快な気分になります。

この不快な気分が「認知的不協和」。

 

そこで、

食べると痩せない、、という事実を捻じ曲げて、

食べていても運動すれば痩せるのではないか。

そう思い込もうしたりするのです。

 

そう思い込んでも、痩せない時は、

「食べ過ぎる」という自分の習慣を変えるしかないのです。

 

痩せたいという気持ちすら捻じ曲げてしまったり。

相反する2つの気持ちを持つということはよくある話です。

自分の選択を肯定する気持ち(バイアスをかける)

 

人間は、自分に都合のいいように思い込み、自分の選択した道が《これでよかったんだ》と思いたいという習性を持っている、と言われています。

例えば、

高額なものを購入した場合。

それが高額であればあるほど、

整合性を保つためにそれを購入したのは正しかったんだ、、と思い込む選択を取ります。

 

認知的不協和が起きること自体は悪いことではないそうですが、

問題は、

誤った意思決定をしてしまうと、その意思決定は様々なバイアスによって強化され、なかなか修正がきかなくなってしまうのです。

バイアスというのは、

自分を思い込ませるための「モノの捉え方」、つまり、思い込みです。

 

*自分に都合の良い情報だけを集める

*自分に都合の悪い情報は無視する

*現状を維持しようと努める

 

そういう行動に走ってしまうと、なかなか問題の改善にはならないのでしょう。

 

大切なことは、

その「認知的不協和」が自分の中で起きていることを認め、客観的に自分の考え方や行動を見つめることではないでしょうか。

 

認知的不協和。私の場合

 

自分の場合、どんな「認知的不協和」があるか、考えてみたら、いっぱいありました。

 

*英語力を上げたいけれど、勉強は嫌

*海外に行きたいけど、飛行機は苦手

*外に出たいけど、ウイルスは怖い

*犬は可愛いけれど、拘束されるのは嫌

 

結局、どちらかを選ぶしかないのです。

英語力を上げたいのなら、「勉強しない」自分を変えるしかない。

勉強が本当に嫌なら、「英語なんてなくても生活はできる」とバイアスのかかった考え方で自分を納得させるしかない。

 

自分がどちらを望んでいるのか。

じっくり客観視することで、

「認知的不協和」に悩まされないようにしなくてはいけないと思います。

あなたは、自分の中に「認知的不協和」がありますか?

 

 

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